本判決は、賃金体系を変更した際、たとえ「同意書」を取っていたとしても、不利益の内容が正しく説明されていなければ無効になることを示した、運送業者にとって極めて重要な警鐘となる事例です。
事案の概要
本件は、トラック運転手5名が、一般貨物自動車運送事業及び貨物利用運送事業等を営む会社に対して、未払い残業代等の支払いを請求した事件です。
会社側は平成29年に、残業代計算の適正化(固定残業代の導入等)を目的として、基本給や諸手当を整理・統合する新給与体系を導入しました。
改定に際し、会社は説明会を実施し、原告らを含む従業員から「同意書」を徴収していました。
東京地裁は、この給与体系の変更を「無効」と判断し、総額約3,000万円(付加金含む)の支払いを命じました。
本件の争点
- 旧給与制度における各種手当の支払いは、割増賃金の支払いに当たるか。
- 新給与体系への変更は認められるか。仮に、これが認められる場合に定額残業代の支払いが割増賃金の支払いと認められるか。
争点① 旧給与制度の手当は「割増賃金」と認められるか
本件で、会社側は、旧制度における「長距離手当」や「特別手当」などが実質的に残業代の役割を果たしていたと主張しましたが、裁判所はこれを認めませんでした。
「判別可能性」の欠如
最高裁は、割増賃金として認められるためには、「通常の労働時間の賃金(基本給など)」と「割増賃金にあたる部分」が明確に区別できることを求めています(日本ケミカル事件)。
本件では、手当の算出根拠が走行距離や作業内容に依存しており、実際の残業時間と連動していませんでした。
そのため、「どこまでが通常の対価で、どこからが残業代か」の区別がつかず、割増賃金の支払いとはみなされませんでした。
「対価性(趣旨)」の欠如
単に区別できるだけでなく、その手当が「時間外労働に対する対価」として支払われているという実態(趣旨)が必要です。
本件の 「長距離手当」はあくまで長距離走行という職務に対する対価(=基本賃金の一部)であり、残業の有無にかかわらず発生する性質のものです。
日本ケミカル事件以降、裁判所は「名称」よりも「支払いの実態」を厳しく見ますが、本件でも、これらの手当は「基礎賃金」に算入すべきものと判断されました。
争点② 不利益変更の合理性と「同意」の有効性
裁判所は、労働契約法10条に基づく「就業規則変更の合理性」以前に、「個別同意があったと言えるか(自由な意思に基づくものか)」という点を極めて厳格に判断しました。
賃金減額の程度(著しい不利益)
判決によれば、旧体系と新体系を比較すると、時間単価(基礎賃金)が約69%~81%にまで大幅に減少していました。
手当を「固定残業代(定額残業代)」に組み替える際、実質的な基礎賃金を下げてしまうと、同じ時間働いても残業代単価が下がるため、裁判所はこれを「重大な不利益」と捉えます。
労働者の「自由な意思」に基づく同意の成否
判決は、最高裁の「山梨県民信用組合事件」の枠組みを引用し、不利益な変更に同意したとされるには、労働者が「不利益の内容を十分に理解し、それを踏まえて自由な意思で同意したと認めるに足りる客観的・合理的な理由」が必要であるとしました。
本件では、説明会資料に「計算基礎となる単価が大幅に下がること」が明記されておらず、シミュレーションも不十分であったため、同意書の提出をもって「有効な同意」とは認められませんでした。
③ 旧給与体系における「手当」の性質
会社側は、旧体系の「時間外職能給」「特務手当」などは残業代(固定残業代)として支給されていたと主張しました。
しかし裁判所は、これらに「能力給的側面」や「残業時間と無関係な支給要件」があることを指摘し、「これらは残業代ではなく、すべて基礎賃金に含まれる」と判示しました。
これにより、旧体系の基礎賃金が想定より高く計算され、新体系との格差(減額幅)がさらに際立つ結果となりました。
運送業のための「不利益変更」対策
①不利益の徹底的な可視化と個別シミュレーションの提示
最も重要なのは、賃金改定によって生じる「不利益」の内容を、労働者が具体的に把握できる状態にすることです。
本判決では、単価が大幅に下がるという事実が十分に説明されていなかったことが敗訴の決定打となりました。
会社側は、単に「新しい給与体系になります」と伝えるだけでなく、全ドライバーの過去(例えば直近6か月〜1年分)の実走行・実労働データに基づき、旧体系と新体系で支給額が「1円単位でどう変わるか」を算出したシミュレーションを個別に提示しなければなりません。
特に、残業単価や深夜手当の基礎となる「時給換算額」が下がる場合は、その事実を隠さず明確に説明する誠実さが求められます。
②「自由な意思」を担保するための説明プロセスと証跡の保存
裁判所は、不利益変更に対する労働者の同意が「自由な意思に基づくものか」を非常に厳格に判断します。
単に説明会を開催し、その場で同意書を回収するだけでは不十分です。
説明会での質疑応答の内容を議事録として残すことはもちろん、賃金が下がる対象者に対しては個別の面談を実施し、その際の対話記録や使用した資料をすべて保存しておく必要があります。
労働者が「よくわからないまま、周りが書いているから同意書にサインした」という主張を後から行えないよう、「どのような資料を用いて、どのような懸念点に回答し、納得を得たか」というプロセスを客観的な証拠として積み上げることが、万が一の訴訟における最大の防衛策となります。
③給与項目(手当)の法的性質の厳格な再定義
本件では、会社側が「残業代の趣旨だった」と主張した手当が、その実態(支給要件や名称の性質)から「基礎賃金」であると認定され、結果として未払い残業代の額が膨れ上がりました。
運送業でよく見られる「職能給」「特務手当」「精勤手当」といった名目の手当が、「残業代(固定残業代)としての性質」を持つものと支給することは危険です。
手当の性質が「残業代」なのか、「能力や労働の対価としての基礎賃金」なのかを、就業規則や賃金規程で丁寧に定義し直す必要があります。
歩合給を固定残業代に振り替えるような操作を行う場合は、その名目や計算根拠に「残業時間と連動しない能力給的な要素」が混ざっていないか、厳格なチェックが不可欠です。
まとめ
ビーラインロジ事件は、「同意書さえ取れば賃金体系を変えられる」という経営側の認識を覆す内容です。
特に、時間単価が2割~3割も下がるような改定は、相当な代償措置や丁寧すぎるほどの手続きがない限り、法的リスクを免れません。
不利益変更を伴う賃金改定を行う際は、形式的な書類作成だけでなく、従業員への「情報開示の透明性」が最大の防衛策となります。
